Simbotiシンボッティがムビラに出会ったのは1968年、16歳の時である。当時彼はハラレの工場に勤務していた。5曲ほど弾けるようになった頃、友人のネビレに「すごいムビラ弾きがいるらしい。今日モンドーロで行われるセレモニーでその人がムビラを弾くらしいから、一緒に行かないか?」と誘われた。そこで行ってみると、ショナの男たちが囲炉裏を囲んで静かにその男を待っていた。しばらくして入ってきた男は、長身だったがたいそう老いぼれており、シンボッティは胸中「すごいムビラ弾きって、このじいさんのことなのか・・・?」と拍子抜けしてしまう。が、ひとたびその老人がムビラを演奏し始めると、5分も経たないうちにスピリットが降り、シンボッティは強い衝撃を受けた。「This old man is dangerous...!」そして次の瞬間、シンボッティはこの老人に師事しようと心に決めたのである。シンボッティは、演奏を終えた老人に近づいて話しかけ、ムビラを習わせてほしいと頼む。すると老人は「次の土曜日に家に来るように」と言った。
バンダンビラ
© The University of Chicago Press "The Soul of Mbira"この老人こそ、現在ジンバブエで「Legend of Mbira」として知られている、バンダンビラ(Mubayiwa Bandambira)その人であった。
土曜日、さっそくバンダンビラを訪ねると、知っている曲を全部弾いてみせるように言われる。シンボッティは当時知っていた5曲を弾いた。演奏が終わるとバンダンビラは、1曲を除いてすべて否定してしまった。「現代風にアレンジされたものは本来のムビラの曲ではない」のである。ちなみに、そのとき唯一バンダンビラが認めてくれた曲とは、タイレワ(Taireva)であった。
バンダンビラはムビラを持ってジンバブエ中を旅して歩き、ムビラのトラッドな曲を拾い集めた人物である。ムビラに関する唯一にして最高の総合書「The soul of Mbira - Music and Traditions of the Shona People of Zimbabwe -」(1981, The Chicago University Press 刊)の著者Paul Berliner は、ジンバブエでのフィールドワークでバンダンビラに出会ったとき、自分の研究が終わったことを感じたという。バンダンビラは存在自体がムビラそのものだったのだ。
シンボッティはバンダンビラに心酔し、夢中でムビラを習った。当時シンボッティは勤め人だったので、金曜日の勤務が終わるとそのままバンダンビラの家に行き、週末は泊まり込んでムビラを習い、月曜日にはまた出勤するという生活が続いた。
ある時、シンボッティは一度に5曲の新しい曲を習った。バンダンビラは「そんなに一度に覚えられるものではない、ゆっくりやりなさい」と言うのだが、シンボッティは平日の勤務の合間を縫って練習し続けた。次の週末がやってきて練習の成果を弾いてみせたとき、シンボッティは5曲すべてを1つのミスも冒さずに弾き通して、バンダンビラをたいそう驚かせたという。シンボッティの非凡なセンスに、巨匠バンダンビラも目を見張った。
バンダンビラは1981年、ローデシアがイギリスから独立してジンバブエと国名を変えた翌年に亡くなった。シンボッティはバンダンビラの信念をそのまま受け継ぎ、トラッドの王道を歩み続けている。今でもシンボッティは、しばしば作業の手を休めながらバンダンビラにまつわるエピソードを聞かせてくれる。懐かしそうに遠くを見つめながらバンダンビラの話をするシンボッティはとても楽しそうで、思い出話は尽きない。尊敬してやまなかった在りし日の師匠を思い出しているのであろう。
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