Simon Mashoko 
マショコ氏が住むマシンゴはハラレからバスで4時間ほど走ったところにある。マシンゴは白人が入植した際にできた最初の町で、すぐ近くにジンバブエの国の名称の由来となった古代遺跡「グレートジンバブエ」がある。雨季だったのもあり、昼間でも非常に寒かったが、マショコ氏に無理をお願いして、短いインタビューを行った。

■あなたが数あるムビラの種類の中でンジャリを選んだ訳は?
M:私の父親がンジャリ弾きだったし、母親も弾いていたからだ。
■お父さんから伝統的な曲を学ばれたのですか?
M:そうだね。
■「ザ・ソウル・オブ・ムビラ」に入っている「ムビリ・ビリ」や「クマクード」は伝統曲ですか?
M:そうだね。
■あなたはジンバブエで最初に教会でムビラを弾いた人ですが、いつ頃から弾かれ始めたのですか?
M:長男のジョセフが産まれたときだよ。1952年だった。
   
■それまで教会でムビラを弾くことはタブーだったわけですが、なぜ、白人支配者たちはムビラが悪魔を呼び起こすと感じたのでしょうか?
M:ただ単にキリスト教を使って、民衆を操ろうとした。ムビラ音楽は単に人々のご先祖様への踊りを促すものであり、悪魔なんかを呼び起こすものではない。だから、私は教会での演奏を始めたんだ。聖書にもムビラは神が創ったものと書いてある。
■そうなんですか!?
M:聖書には楽器を使うことによって、悪意や邪心を追い払い、正道に導くと書いてある。
   
■でも、まだ多くの教会でムビラが弾かれることはないですよね?
M:昔に比べると多くなってきている。ムビラ以外にオショーやゴマ(ジンバブエの太鼓)も使う。
■この場所に住んでどれくらいになるのですか?
M:グエルから引越ししてきたのが1966年。それまでグエルで働いていた。神様のお告げでムビラを持ってこの場所に移ってきたんだよ。
■それまで街で育ったのですか?
M:若いときの大半の時間はグエルで過ごしたが、幼い頃に育ったのはマシンゴの田舎だよ。
■そして、この場所に教会を立てたわけですね。
M:そうだね。この教会を建てるためにたくさんの人が協力してくれた。でも、ほとんどの作業は自分自身でやった。
   
■どれくらいの人がこの教会に集うのですか?
M:多いときは300人くらい集まる。
■ええっ、そんなにも!
M:君は日本から来たんだろう?
■はい。
M:私は若い頃、スズキのモーターバイクに乗っていたよ。それでハラレにもよく行ったよ。でも、すぐに売ってしまった。
■なぜですか?
M:事故を起こして死にかけた。
■大丈夫だったんですが?
M:死んでいないから、ここにいる(笑)。
■(笑)今日はどうもありがとうございました。
M:こちらこそ、遠いところまで来てくれて、ありがとう。
       
老衰が進み、想像していたよりも弱々しく映ったマショコ氏だったが、お土産に持っていった大好物のビールを美味しそうに飲んでいる姿を見て嬉しくなった。最後の時を過ごす氏の姿を見ていて、物悲しさも感じられたのだが、彼の村から車で離れ、しばらくして、不思議な幸福感に包まれた。

誇りを持って死ぬということ…

尊厳をもって人生を全うしようとするマショコ氏に大きな敬意を抱かずにはいられない。

今回の取材ではコスモス・マガヤ氏に同行してもらい、色々と案内をして頂いた。貴重な時間を頂いたことに深く感謝をする。    
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