Mbira DzeNharira
今回、ムビラゼナリラの本拠地であるノートンを訪れるのは3回目となるが、アポイントメントを取って時間を決めていても、だいたい決まって、すっぽかされる。というよりここはアフリカ。待たされるのには慣れているのだが、今回も待つこと6時間。いつもの豹の毛皮の帽子をかぶって、ラフなポロ・シャツとジーンズといういでたちでグループのリーダーであるテンダイが現れた。
■まず始めにグループの成り立ちから聞かせてもらえますか。
Tendayi(以下T):そうだね、グループを結成したのは1987年かな。伝統的なムビラを弾く村の長老を招いたりして、いろいろスピリチュアルな話とかを聞いたり、演奏してもらったり。その頃はまだムビラの弾き方を知らなかったし。
■知らなかったって?
T:その頃からだよ。僕がムビラを弾き始めたのは。
■ええっ!あなたがムビラを弾き始めたのって、1987年からですか!?
T:そうだよ。僕はそれ以前はギターをやっていた。
■ええっ!信じられない!
T:本格的にギターを始めたのが1979年からで、それから英国の音楽大学で2年間、勉強してた。その間、レゲエもやったし、ヘビーロックなんかもやったりした。そんなある日、大学のセミナーで伝統音楽についての授業があって、その中にはベネズエラやチリ、ケニヤからの学生も混じってて、いろいろな自国の音楽を紹介しあったんだ。その授業の後に教授から「何か自国の伝統楽器は弾けるのか」と聞かれて、その時は、「ムビラという楽器がジンバブエにあるけど、弾けない」って答えたんだ。 だけど、その後、ギターは弾けるけど、なんで自国の伝統楽器は弾けないんだ。と素直に思ったんだよ。T:その後、僕は1982年から1986年までドイツで働いていて、ジンバブエに帰ったらムビラのような伝統楽器を混ぜた音楽を始めようと思っていた。そして、1996年に帰ってきて、そのことを妻に話したら、「まあ、あなたムビラを始めるの?」と言われたんだ。僕自身、ムビラ音楽は好きだったけど、まさか自分がこの歳から始めようとは思わなかったんだ。
■でも、私もムビラを始めたのは30歳からですよ。
T:そう!30歳からでも遅くないんだよ(笑)!そして、伝統的なセレモニーとかに行くようになって、そこでいろいろな演奏を聞いたんだ。でも、ある時、何で彼らはいつも同じチューニングのムビラを使って演奏をしているんだろうと疑問を抱いたんだ。なぜなら、もっと、違う音域のムビラを使うことにとってオクターブに広がりを持たせることができるはずだからね。
■ああ!それが今のゼナリラ・サウンド!
T:そのとおり!そして、そのアイディアを友達のエドワードとウィルフレッドに話したら、彼らが乗ってきて、徐々に実験的なセッションを始めたんだ。その後、ウィルフレッドの従兄弟のクリスペンが入ってきて、最終的に5台のムビラが必要だと言うことになって、5人目のミカが入った。そしてファーストアルバムの製作に入ったわけさ。
■あの名作「Rinemayanga hariputirwe」ですね。
T:あのアルバムを作るのに何年掛かったか知ってる?■確か10年でしたよね?
T:そう、いろいろ実験的な音合わせをやって、最終的にムバレにあるZBCスタジオに入ったのが1997年だった。その時のプロデューサーをやってくれたシルベスター・タフマネは電気的なアンプを通さずにアコーステックな音作りをやりたいと言うので、ライブの時みたいにマイクの前でそのままムビラを演奏して、歌って、オショーを振ったものを録音した。サウンド・ミックスも同時にね。だから、レコーディングはたったの3時間で終わっちゃったんだよ。
■ああ、だから、あのサウンドは生きてるんですね。他のアルバムと比べてラフな録音だとは思いますが、あなたたちのライブの時のサウンドそのものですよ。
T:そう、ありがとう。
■ライブアルバムの予定は無いのですか?ジンバブエでのセールスはどうかと思いますが、アメリカ、ヨーロッパ、日本だと結構売れると思いますが。
T:わかった。ZMCに聞いておくよ。
■2枚組みでお願いします(笑)。
T:わかった、2枚組みで(笑)。
■そしてセカンドアルバム「Gomo remandiriri」ですね。
T:そう、それまでジンバブエの音楽は西洋音楽の影響を受けたものが多く、ラジオのヒットチャートなんかもそういう音楽で占めていたんだけど、あのセカンドアルバムからは「Nharira」というムビラだけで作った音楽としては初のヒット・チャートNo.1となる曲が出たんだ。■ええ〜っ!No.1ですか!?
T:そう、初の快挙だったよ。
■す、すごい!!トーマス・マフモとかアレック・マチェソを超えてですか?
T:そうだよ(笑)!
■でも、国内でシングルとかはリリースするんですか?
T:いや、フル・アルバムだけで、ラジオのヒットチャートはリスナーのリクエストによって決まるんだよ。大半の人はCDとかテープとかは買えないからね。D.Jがラジオでかけた曲を聞いて気に入った曲をリクエストしてくる。
■日本なんかだと、メディアが操作して、ヒットチャ−トもすごく商業的ですけど、ジンバブエのはすごく純粋な感じがしますね。
T:ただ、セールスチャートだけは新聞に載るんだけど、そういうラジオのヒットチャートの影響を受けてCDのほうも売れてくるんだよ。そのうち、普段ラジオを聞かないインテリ層の人たちもCDを買って聞いてもらえるようになった。
■そして、今、その人たちがライブに来て、踊ってますよね。私が始めてジンバブエに来た2000年なんか、ムビラのライブなんか外国人だけで、ローカルの人たちはあまり見かけませんでしたが、今回、いつ来てもライブスペースはローカルの人たちでギュウギュウ詰めですよね。
T:そうだね。今はいつ演っても満杯だ。
■やっぱり、ネクタイ族も躍らせてしまうゼナリラの功績は大きいです。今、私も日本でムビラの普及活動をしているんですが、そうなることを願いたいですよ(笑)。
T:そうだね(笑)。
■将来的に私は日本人とジンバブエ人と言うのは密接な関係になると思っています。すごく、いろいろなものに対する感覚が近いような気がするんですよ。そういった意味で日本人が今、失っているスピリッツのように目に見えないもの、思考で考えても難しくなるだけのものをジンバブエがトランスレートしてくれる気がしています。そのお返しと言ってはなんですが、日本にはビジネス的な技術提供ができる。
T:ところで、昔、日本人の女の子と話していて「テンダイ」というサウンドは日本語で「highsprit(天台)」という意味だって聞いたんだけど、本当?
■そうですね。ちなみにショナ語の「ゾウ」のことも日本語で「象」って発音しますよ。
T:ええっ!そうなの!?
■何かが似ているんですよね。ショナの人と話していても、英語でなく日本語で話してる感覚に近い時が多々あります。
T:たしかにそうだ。僕も日本人と話してるとき、ショナ語で話している感覚になるときがある。間合いとかの時間が似てるね。■あとさっきのスピリッツに戻りますが、もともと日本人は持っていたものなんですけど、今はそれがどこにあるのかが解からなくなっている。ムビラがそうですけど、「解かる前に感じろ!」的なことが音の中に含まれていますよね。
T:そのとうり。ムビラの音を注意深く聞けば、わかることなんだよ。「ジャスト・ホールド・オン」って感じで。
■ところで、日本では今、1年間に約30000人の人たちが自殺をして亡くなっています。
T:ええっ!?なんでだ?彼らはお金はあるんだろう?
■お金はあるんですが、そのスピリッツを失っているんだと思います。
T:なるほど…。
■しかも、それについて誰も疑問を抱かないんですよ!
T:変だな…。
■戦争もしてないのにですよ!
T:変だな…。…ところでインタビューに戻っていいかな(笑)?
■(笑)ごめんなさい。少し興奮して話がそれました。
T:大丈夫(笑)。
■で、サード・アルバムの「Tozvireva tingaputike neshungu」ですが。
T:あのアルバムからは「Kumatendera」がNo.1になったな。■私、あの曲好きなんですよ。
T:何で?
■いや、その、私の名前は「クマ」なもので…。
T:あ〜っ(笑)!僕たちとしては5曲目の「huya Uzoona」のようなアレンジにしたかったんだけど、ZMCからもっとヒットしそうなアレンジにしろと要求されてね。ちなみにその「huya Uzoona」はムビラゼナリラの曲の中で僕の一番のフェバリットだね。
■そして、去年リリースされた4枚目の「Toita Zverudo」ですが。
T:そうだね、あれは今までの歴代のムビラアルバムの中で最も売れたアルバムとなったね。
■正確な売れた枚数をご存知ですか?
T:ん〜、わからないな。
■正確じゃなくてもいいから、だいたいの数字は?
T:ん〜、ZMCから僕たちには知らされてないんだよ。
■まったく?
T:そう全く。彼らは海外にもCDを輸出しているんだけど、そのあたりの数字も全く知らされてない。
■へ〜、日本じゃ考えられないことですけど…。
T:そして、この4thアルバムで僕たちはムビラ・サウンドに対して最もこだわった音作りを目指したんだ。本来、4台のムビラの音をミックスして録音するのは容易ではないんだけれども、今回、非常にうまくいったんだ。■この音域の違うムビラを使って合奏をするという手法はガリカイ氏と同じものですよね。
T:そうだね。僕たちがこのアイディアを暖めていた頃、ちょうど彼に出会って、彼も同じアイディアをもっていたんだよ。僕たちは同じトーテムだから、つまり同じ家系ということになる。なんか、不思議なめぐり合せだったね。
■話は変わるんですが、ジンバブエ人はハラレのような都会で家を持っていても、必ず田舎のほうにも家を持っていますよね。
T:そうだね。理由の一つとして本来、文化というものは都会的なものと田舎的なものが組み合わさって育つというのがある。都会だけの生活だと、人は大事なものを忘れてしまう。そして、人間にしても文化にしても何かアンバランスなものになってくる。
そんな意味もあって、この17年間、僕たちはジンバブエの音楽界に挑戦をし続けてきたんだよ。都会的なものだけでなく、田舎的なものの意味をね。
■まさにリアル・チェムレンガですね!
T:そうだね、ありがとう(笑)。少し前まで単に伝統的な儀式の為の楽器であったムビラは今や若者もプレイするようになってきているしね。
■やはり、ムビラ・ゼナリラのここ数年の功績は大きいものがありますよね。それでは、最後に日本のムビラ・ファンにメッセージをお願いします。
T:ムビラ音楽はとてもスピリチュアルなもので、我々ジンバブエ人はずっとそれによって支えられてきた。そこには我々が未来に進むための先祖からの支援やいろいろな誘惑に対する抵抗力が含まれている。なぜなら、昔、彼らはここにいて、我々はあの世にいたからなんだ。彼らは人間の「生活」というものを私達よりより深く理解している。今の私達はテクノロジーが発達した世界で生活しているが、精神的な点において飢えてしまっている。
それゆえに、ムビラの音に耳を傾けてみてほしいんだよ。そうすればあなたの精神的な知覚が目を覚まし、最終的にあなたがどこから来たのかわかるようなる。なぜなら、あなたがどこから来たということを知らないまま、あなたが自身が今どこにいるかということや、あなたがこれからどこへ行くのかも知ることはできない。あなたがムビラの音に注意深く耳を傾ければ、今、自分自身が何をすればいいかわかるはずだ。
■今日はどうもありがとうございました。
T:こちらこそ、ありがとう。下にある"メッセージボタン"をクリック!
HOME | イベントカレンダー | ムビラとは | アーティスト紹介 | ショップコーナー |
リンク集 | 更新履歴 | 通信販売法に基づく表記 | お問い合わせ |このサイトの著作権はすべてムビラジャンクションに帰属します。掲載の文章、写真、図表、音源等の無断複写、無断転載を禁じます。
Copyright © 2004 Mbira Junction All rights reserved.